【活用事例】自治会活動ページ
京都府与謝野町金屋区での実証事業
2022年8月から2024年3月まで京都府与謝野町で活用されたDecidimページを金屋区のご了承をいただいて、一部コンテンツを保存するものです。
コンテンツは当時のものをベースに、編集を行っています。
About this assembly
写真:金屋区公民館
金屋区(令和4年4月1日現在)人口 505人
地区名である「金屋」とは
この大伴金村が訛ったものという説もあるが、一般にこの地名は鋳物師と関連することが多く、加悦に鋳物師が存在したことは京都市内の仁和寺の梵鐘の銘に記録されている。
金屋城や金屋比丘尼城があった場所としても知られ、金屋城の城下町であった金屋村の地名は中世には存在し、当時の加悦地域の中心的な集落であったとみられる。
金屋区紹介
金屋区は鬼退治伝説で有名な大江山を望み、野田川の豊かな水に育まれて、田園風景が広がる。四季折々の自然風景の美しい地域である。
豊かな自然を生かして、米作りを中心とした農業、また湿気の多い気候を生かした丹後ちりめんの生産が主な産業である。また最近は、ビールづくりに必要なホップの栽培にも力を入れている。
金屋区の歴史
旧・加悦町内にあたる。
5世紀末頃の 大和朝廷において、 武烈天皇、 継体天皇、 安閑天皇、 宣化天皇、 欽明天皇の5代にわたり 大連を務め、 512年に 任那4県を 百済に割譲した失策の責を負って退任した 大伴金村が所有した26カ所の 田荘(私有地)のひとつである。地区内に2社ある氏神のうち、大伴金村を祭神とする国守神社は、金村の死後、鏡山に祠を築いてこれを祀ったのが発祥とされ、 924年(延長2年)に姉ヶ枝に移転、 1869年(明治2年)に現在地に遷座した。最初にその祠が設けられた鏡山の古墳からは、経筒や壷や刀などが出土している。
加悦町史編纂委員会 『加悦町史 資料編第2巻』与謝野町役場、2008年、920頁
引用:ウィキペディア「 金屋_(与謝野町)」
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